マッカーサーを検索すると…  全部読める人いるかな?長いよー。全文紹介ではありません。一部です。全文はウィキ検索してみてね。


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自分の感情吐き出すブログ

真実を追求していて、自分なりの真実と思われる事を真実らしく書(フィクション)いています。世界中の人に届くと良いのになぁ…。

2016-09-15
マッカーサーググると とにかく長いけど、読む価値があります。

真実は隠される 独裁はいつまでも続かない
民進党の党首選挙の日に、歌舞伎役者の浮気にニュースをトップに各テレビ局が一斉に報道していました。下らない!党首選挙は何処いった?

テレビ局の皆さんも、TV出ていない正義感ある人たちの苦労を切り捨てず、与党のスクープや野党にも公平な報道をして頂けたら子供達も政治に興味持つのにな。

今の政府が終戦直後の世襲ばかり💢!

終戦後に売国した悪党政治家の子孫が今の中心ですから日本の傀儡売国ははっきりしていませんか?

独裁が押し付けられるわけですね。

国民を飢え死にさせ、貧しくして、暗くし続けた政治家や官僚や、それに便乗した富裕層、マインドコントローラーなどを極刑出来る法律を!!

本当の悪党をどんどん発信してくれるメディアを私達の世論で作りましょう!!!

官僚だって、メディアだって、政治家ほど腐っちゃいないと思います!!!

正義感をもってなる人も多いはず!!!

彼らを権力の圧力から解放させてあげましょう。

怖がらないで…。自信を持って… 応援しています。

本当の悪は全体の点でしかありません。

日本は欧米化が進んでいるだけで、タバコや原発、麻薬や、潰れそうなフリーメーソン企業が日本に押し売られています。

マッカーサーフリーメーソンに入るまで、全くの小物でした。らしいです。

ナチスにしても、マッカーサーにしても、金正日にしても、一人で威張っても相手にはされません。

人は軍隊を恐れ、武器をもつ殺人者を恐れて、独裁を見て見ぬふりをするのです。

全ては殺人平気、毒薬、ピストル、爆弾、集団的自衛権的集団暴力、勿論、刀や槍など、武器を持たない人に襲いかかる理不尽!!!

マッカーサーはどんな人?

今行われているマスコミ圧力はこの人の入れ知恵でしょう。最近決まった迷惑な法案も恐らく入れ知恵ですね?

最後にマッカーサーがどうなったか?
結局は人気絶頂から転げ落ちます。金は物凄く残しましたがね…。日本だけです、マッカーサー支持続けてるのわ…

世界が変化を望んでいます。ゆくゆくは、自民党政治も奈落の底に突き落とされるでしょう。
どうかお子さまをお持ちの親御さんは子供と政治の話をしてください。一緒にニュース見てください。親が興味深く見ていれば、子供も政治に関心を持つと思います。

Wikipedia今日も載せますが、信憑性は高いと思われますが、全て鵜呑みはどうかな?

勉強になりますが、全部信じるのも良いけど、考えながら読んでくださいね。 戦争法案、独裁反対!!!


Wikipedia引用

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC

太平洋戦争を、日本傀儡が知れますよ。


日本占領方針
マッカーサーには大統領ハリー・S・トルーマンから米国史上空前の全権が与えられていた。

天皇と日本政府の統治権マッカーサーに隷属しており、その権力を思う通りに行使できる。我々と日本の関係は条件付きのものではなく、無条件降伏に基づいている。マッカーサーの権力は最高であり、日本側に何の疑念も抱かせてはならぬ。
日本の支配は、満足すべき結果が得られれば、日本政府を通じて行われるべきである。もし必要であれば、直接行動してもよい。出した命令は武力行使も含め必要と思う方法で実施せよ。
連合国最高司令官政治顧問団特別補佐役としてマッカーサーを補佐していたウィリアム・ジョセフ・シーボルドは「物凄い権力だった。アメリカ史上、一人の手にこれほど巨大で絶対的な権力が握られた例はなかった。」と評した[121]。

占領行政については、ドイツでの経験から直接統治ではなく、既存の日本の体制を利用した間接統治のほうが円滑に進むとの現実的判断に落ち着いた。既存の体制の維持となると避けて通れないのが、天皇制の存置と昭和天皇の戦争責任問題であるが、早くも終戦1年6か月前の1944年2月18日の国務省の文書『天皇制』で「天皇制に対する最終決定には連合国の意見の一致が必要である」としながらも「日本世論は圧倒的に天皇制廃止に反対である……強権をもって天皇制を廃止し天皇を退位させても、占領政策への効果は疑わしい。」と天皇制維持の方向での意見を出している。また1945年に入ると、日本の占領政策を協議する国務・陸・海軍3省調整委員会(SWNCC)において「占領目的に役立つ限り天皇を利用するのが好ましい」「天皇が退位しても明らかな証拠が出ない限りは戦犯裁判にかけるべきではない」という基本認識の元で協議が重ねられ[122]、戦争の完全終結と平穏な日本統治のためには、天皇の威信と天皇に対する国民の親愛の情が不可欠との知日派国務長官代理ジョセフ・グルーらの進言もあり、当面は天皇制は維持して昭和天皇の戦争責任は不問とする方針となった[123]。これはマッカーサーも同意見であったが、ほかの連合国や対日強硬派やアメリカの多くの国民が天皇の戦争責任追及を求めていたため、連合国全体の方針として決定するまでには紆余曲折があった[注釈 9]。

戦争犯罪の追及

バギオで降伏した山下奉文大将
まずマッカーサーが着手したのは日本軍の武装解除であったが、軍事力のほとんどが壊滅していたドイツ国防軍と異なり、日本軍は内外に154個師団700万名の兵力が残存していた。難航が予想されたが、陸海軍省などの既存組織を利用することにより平穏無事に武装解除は進み、わずか2カ月で内地の257万名の武装解除と復員が完了した。

次に優先されたのは戦争犯罪人の逮捕で、終戦前からアメリカ陸軍防諜部隊(英語版)(略称CIC)がリストを作成、さらに国務省より要求も加え、9月11日には第一次A級戦犯38名の逮捕に踏み切った。しかし東條英機が自殺未遂、小泉親彦と橋田邦彦2名が自殺した。最終的に逮捕したA級戦犯は126名となったが、戦犯逮捕を指揮したCIC部長ソープは、戦犯らが遡及法で裁かれることに疑問を感じ、マッカーサーに「戦犯を亡命させてはどうか?」と提案したことがあったが、マッカーサーは「そうするためには自分は力不足だ、連合軍の連中は血に飢えている」とA級戦犯訴追に批判的な回答をしたという[124]。


昭和天皇との初会談
GHQは、支配者マッカーサーを全日本国民に知らしめるため、劇的な出来事が必要と考え、昭和天皇の会談を望んでいた。昭和天皇マッカーサーとの会談を望んでおり、どちらがイニシアチブをとったかは不明であるが[注釈 10]、天皇よりアメリカ側に会見を申し出た。マッカーサー個人は「天皇を会談に呼び付ければ日本国民感情を踏みにじることになる……私は待とう、そのうち天皇の方から会いに来るだろう」と考えていたということで[134]、マッカーサーの要望通り昭和天皇側より会見の申し出があった時には、マッカーサーと幕僚たちは大いに喜び興奮した。昭和天皇からは目立つ第一生命館ではなく、駐日アメリカ大使公邸で会談したいとの申し出であった[135]。しかし日本側の記録によると、外務大臣に就任したばかりの吉田茂が、第一生命館でマッカーサーと面談した際に、マッカーサーが何か言いたそうに「モジモジ」していたので、意を汲んで昭和天皇の訪問を申し出、マッカーサー側から駐日アメリカ大使館を指示されたとのことで、日米で食い違っている[136]。1945年9月27日、大使館公邸に訪れた昭和天皇マッカーサーは出迎えはしなかったが、天皇の退出時には、自ら玄関まで天皇を見送るという当初予定になかった行動を取って好意を表した。会談の内容については日本とアメリカ両関係者より、内容の異なる様々な証言がなされており(#昭和天皇との会談の内容についてを参照)、詳細なやり取りは推測の域を出ないが、マッカーサー昭和天皇は個人的な信頼関係を築き、その後合計11回にわたって会談を繰り返し、マッカーサー昭和天皇は日本の占領統治のために絶対に必要な存在であるという認識を深める結果になった[137]。

その際に略装でリラックスしているマッカーサーと、礼服に身を包み緊張して直立不動の昭和天皇が写された写真が翌々日、29日の新聞記事に掲載されたため、当時の国民にショックを与えた。歌人斎藤茂吉はその日の日記に「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と書き込むほどであったが、多くの日本国民はこの写真を見て日本の敗戦を改めて実感し、GHQの目論見通り、日本の真の支配者は誰なのか思い知らされることとなった[138]。

連合国軍による占領下の日本では、GHQ/SCAPひいてはマッカーサーの指令は絶対だったため、サラリーマンの間では「マッカーサー将軍の命により」という言葉が流行った。「天皇より偉いマッカーサー」と自虐、あるいは皮肉を込めて呼ばれていた。また、東條英機が横浜の野戦病院(現横浜市立大鳥小学校)に入院している際にマッカーサーが見舞いに訪れ、後に東條は重光葵との会話の中で「米国にも立派な武士道がある」と感激していたという[139]。

報道管制
詳細は「プレスコード」を参照
バギオで戦犯として山下が逮捕された直後、9月16日の日本の新聞各紙に一斉に「比島日本兵の暴状」という見出しで、フィリピンにおける日本兵の残虐行為に関する記事が掲載された。これはGHQの発表を掲載したもので、山下裁判を前にその意義を日本国民に知らしめ、裁判は正当であるとする周到な世論工作であった[140]。毎日新聞の森正蔵(東京本社社会部長)によれば、これはマッカーサーの司令部から情報局を通じて必ず新聞紙に掲載するようにと命令され、記事にしない新聞は発行部数を抑制すると脅迫されていたという[141]。

実際に朝日新聞はこのGHQの指示について、「今日突如として米軍がこれを発表するに至った真意はどこにあるかということである。(連合軍兵士による)暴行事件の発生と、日本軍の非行の発表とは、何らかの関係があるのではないか」と占領開始以降に頻発していた連合軍兵士による犯罪と、フィリピンにおける日本軍の暴虐行為の報道指示との関連性を疑う論説を記事に入れたところ、マッカーサー朝日新聞を1945年9月19日と20日の2日間の発行停止処分としている[142]。

その後、マッカーサー昭和天皇の初面談の際に撮影された写真が掲載された新聞について、内務大臣の山崎巌が畏れ多いとして新聞の販売禁止処分をとったが、連合国軍最高司令官総司令部[注釈 11]の反発を招くことになり、東久邇宮内閣の退陣の理由のひとつともなった。これをきっかけとしてGHQは「新聞と言論の自由に関する新措置」(SCAPIN-66)を指令し、日本政府による検閲を停止させ、GHQが検閲を行うこととし、日本の報道を支配下に置いた。また、連合国と中立国の記者のために日本外国特派員協会の創設を指示した。

マッカーサーの日本のマスコミに対する方針を如実に表しているのは、同盟通信社が行った連合軍に批判的な報道に対し、1945年9月15日にアメリカ陸軍対敵諜報部の民間検閲主任ドナルド・フーバー大佐が、河相達夫情報局総裁、大橋八郎日本放送協会会長、古野伊之助同盟通信社を呼びつけて申し渡した通告であるが「元帥は報道の自由に強い関心を持ち、連合軍もそのために戦ってきた。しかし、お前たちは報道の自由を逸脱する行為を行っており、報道の自由に伴う責任を放棄している。従って元帥はより厳しい検閲を指令された。元帥は日本を対等とは見做していないし、日本はまだ文明国入りする資格はない、と考えておられる。この点をよく理解しておけ。新聞、ラジオに対し100%の検閲を実施する。嘘や誤解を招く報道、連合軍に対するいかなる批判も絶対許さない。」と強い口調で申し渡している[143]。

連合軍占領下の日本
詳細は「連合国軍占領下の日本」を参照
マッカーサーの強力な指導力の下で、五大改革などの日本の民主化が図られ、日本国憲法が公布された。

〜途中省略〜

大統領選挙より

6月の共和党大会では、マッカーサーを推すハーストが数百万枚のチラシを準備し、系列の新聞『フィラデルフィア・インクワイアラー』の新聞配達員まで動員し選挙運動をおこない、マッカーサーの応援演説のために、日本軍の捕虜収容所から解放された後も体調不調に苦しむジョナサン・ウェインライトも呼ばれたが、第1回投票で1,094票のうち11票しか取れず、第2回で7票、第3回で0票という惨敗を喫し、結局第1回投票で434票を獲得したトーマス・E・デューイが大統領候補に選出された[146]。

日本では、マッカーサーへの批判記事は検閲されていたため、選挙戦の情勢を正確に伝えることができなかった。『タイム』誌は「マッカーサーを大統領にという声より、それを望まないと言う声の方が大きい」と既に最初のウィスコンシンの惨敗時に報道していたが、日本ではマッカーサーより有力候補者であったアーサー・ヴァンデンバーグやロバート・タフトの影は急激に薄くなっていった、などと事実と反する報道がなされていた[147]。その結果、多くの日本国民が共和党大会での惨敗に驚かされた。その光景を見た『ニューヨーク・タイムズ』は「日本人の驚きは多分、一段と大きかったことだろう。……日本の新聞は検閲によって、アメリカからくるマッカーサー元帥支持の記事以外は、その発表を禁じられていたからである。そのため、マッカーサー元帥にはほとんど反対がいないのだという印象が与えられた。」と報じている[148]。

大統領選の結果、大統領に選ばれたのは現職のトルーマンであった。マッカーサートルーマンは、太平洋戦争当時から占領行政に至るまで、何かと反りが合わなかった。マッカーサーは大統領への道を閉ざされたが、つまりそれは、もはやアメリカの国民や政治家の視線を気にせずに日本の占領政策を施行できることを意味しており、日本の労働争議の弾圧などを推し進めることとなった。イギリスやソ連中華民国などの他の連合国はこの時点において、マッカーサーの主導による日本占領に対して異議を唱えることが少なくなっていた。

〜省略〜


4月10日、ホワイトハウスは記者会見の準備をしていたが、その情報が事前に漏れ、トルーマン政権に批判的だった『シカゴ・トリビューン』が翌朝の朝刊に記事にするという情報を知ったブラッドレーが、マッカーサーが罷免される前に辞任するかも知れないとトルーマンに告げると、トルーマンは感情を露わにして「あの野郎が私に辞表をたたきつけるようなことはさせない、私が奴をくびにしてやるのだ」とブラッドレーに言った。トルーマンは4月11日深夜0時56分に異例の記者会見を行い、マッカーサー解任を発表した[193]。解任の理由は「国策問題について全面的で活発な討論を行うのは、我が民主主義の立憲主義に欠くことができないことであるが、軍司令官が法律ならびに憲法に規定された方式で出される政策と指令の支配をうけねばならぬということは、基本的問題である。」とシビリアン・コントロール違反が直接の理由とされた[194]。

日本時間午後3時、この報は日本に達したが、マッカーサーはそのとき妻のジーンと共に、来日した上院議員ウォーレン・マグナソンとノースウエスト航空社長のスターンズと会食をしていた。副官のシドニー・ハフ大佐は、立ち上がったジーンに解任のニュースを知らせ、「至急報」と書かれた茶封筒を渡し、夫人はその茶封筒をマッカーサーに黙って渡した。内容を読み終えたマッカーサーはしばらく沈黙していたが、やがて夫人に向かって「ジーン、これで帰れるよ」と言ったと伝えられている。ブラッドレー元帥は「マッカーサー解任は当然である」と主張した。

帰国
4月16日にマッカーサーはリッジウェイ中将に業務を引継いで東京国際空港へ向かったが、その際には沿道に20万人の日本人が詰めかけ、『毎日新聞』と『朝日新聞』はマッカーサーに感謝する文章を掲載した。マッカーサーも感傷に浸っていたのか、沿道の見送りを「200万人の日本人が沿道にびっしりと並んで手を振り」と自らの回顧録に誇張して書いている[195]。しかし、沿道に並んだ学生らは学校からの指示による動員であったという証言もある[196]。

首相の吉田茂は「貴方が、我々の地から慌ただしく、何の前触れもなく出発されるのを見て、私がどれだけ衝撃を受けたか、どれだけ悲しんだか、貴方に告げる言葉もありません。」という別れを悲しむ手紙をマッカーサーに渡し、4月16日には衆参両議院がマッカーサーに感謝決議文を贈呈すると決議し、東京都議会や日本経済団体連合会も感謝文を発表している[197]。

マッカーサーは空港で日米要人列席の簡単な歓送式の後に、愛機バターン号で日本を離れた。同乗していたマッカーサーと一緒に辞任したコートニー・ホイットニー前民政局局長へ「日本をもう一度見られるのは、長い長い先のことだろうな」と語ったが[198]、実際にマッカーサーが再度日本を訪れたのは1961年にフィリピンから独立15周年の記念式典に国賓として招かれた際、フィリピンに向かう途中で所沢基地に休憩に立ち寄り、帰りに横田基地で1泊した時であったので、11年後となった[199]。しかしセレモニーもなく、ほとんどの日本人が知らないままでの再来日(最後の来日)であった。

マッカーサーが帰国した後も、5月に入って吉田内閣は、マッカーサーに「名誉国民」の称号を与える「終身国賓に関する法律案」を閣議決定し、政府以外でも「#マッカーサー記念館」を建設しようという動きがあった。マッカーサーにこの計画に対する考えを打診したところ、ホイットニーを通じて「元帥はこの申し出について大変光栄に思っている。」という返事が送られている[200]。

退任

退任演説を行うマッカーサー
1951年4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席したマッカーサーは、退任演説を行った。最後に、ウェストポイントに自身が在籍していた当時(19世紀末)、兵士の間で流行していた風刺歌のフレーズを引用して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ[注釈 14]」と述べ、有名になった。

元となった「歌」には何通りかの歌詞がある。要約すると

遠くにある古ぼけた食堂で、俺たちは1日3度、豚と豆だけ食う。ビーフステーキなんて絶対出ない。畜生、砂糖ときたら紅茶に入れる分しかない。だから、おれたちゃ少しずつ消えていくんだ。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。二等兵様は毎日ビールが飲める、伍長様は自分の記章が大好きだ。軍曹様は訓練が大好きだ、きっと奴らはいつまでもそうなんだろう。だから俺たちはいつも訓練、訓練。消え去ってしまうまで。
というものである。

〜省略〜

まぁ、ドイツの問題は日本の問題と完全に、そして、全然異なるものでした。ドイツ人は成熟した人種でした。アングロサクソンが科学、芸術、神学、文化において45才の年齢に達しているとすれば、ドイツ人は同じくらい成熟していました。しかし日本人は歴史は古いにもかかわらず、教えを受けるべき状況にありました。現代文明を基準とするならば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して日本人は12歳の少年のようなものです。他のどのような教えを受けている間と同様に、彼等は新しいモデルに影響されやすく、基本的な概念を植え付ける事ができます。日本人は新しい概念を受け入れる事ができるほど白紙に近く、柔軟性もありました。ドイツ人は我々と全く同じくらい成熟していました。ドイツ人が現代の国際的な規範や道徳を放棄したときは、それは故意によるものでした。ドイツ人は国際的な知識が不足していたからそのような事をしたわけではありません。日本人がいくらかはそうであったように、つい過ってやったわけでもありません。ドイツ自身の軍事力を用いることが、彼等が希望した権力と経済支配への近道であると思っており、熟考の上に軍事力を行使したのです。現在、あなた方はドイツ人の性格を変えようとはしないはずです。ドイツ人は世界哲学の圧力と世論の圧力と彼自身の利益と多くの他の理由によって、彼等が正しいと思っている道に戻っていくはずです。そして、我々のものとは多くは変わらない彼等自身が考える路線に沿って、彼等自身の信念でゲルマン民族を作り上げるでしょう。しかし、日本人はまったく異なりました。全く類似性がありません。大きな間違いの一つはドイツでも日本で成功していた同じ方針を適用しようとしたことでした。控え目に言っても、ドイツでは同じ政策でも成功していませんでした。ドイツ人は異なるレベルで活動していたからです。)
— p.312、Military situation in the Far East. Corporate Author: United States.(1951)

[309]
この発言が多くの日本人には否定的に受け取られ、日本におけるマッカーサー人気冷却化の大きな要因となった(#マッカーサー人気の終焉)。当時の日本人はこの発言により、マッカーサーから愛されていたのではなく、“昨日の敵は今日の友”と友情を持たれていたのでもなく、軽蔑されていたに過ぎなかったことを知ったという指摘がある[310]。

さらにマッカーサーは、同じ日の公聴会の中で「日本人は12歳」発言の前にも「日本人は全ての東洋人と同様に勝者に追従し敗者を最大限に見下げる傾向を持っている。アメリカ人が自信、落ち着き、理性的な自制の態度をもって現れた時、日本人に強い印象を与えた。」[311]「それはきわめて孤立し進歩の遅れた国民(日本人)が、アメリカ人なら赤ん坊の時から知っている『自由』を初めて味わい、楽しみ、実行する機会を得たという意味である。」などと日本人を幼稚と見下げて、「日本人は12歳」発言より強く日本人を侮辱したと取られなかねない発言も行っていた[312]。

また、自分の日本の占領統治をシーザーの偉業と比肩すると自負したり、「(日本でマッカーサーが行った改革は)イギリス国民に自由を齎したマグナ・カルタ、フランス国民に自由と博愛を齎したフランス革命地方主権の概念を導入した我が国のアメリカ独立戦争、我々が経験した世界の偉大な革命とのみ比べることができる。」と証言しており、マッカーサーは証言で、自身が日本で成し遂げたと考えていた業績を弁護していたという解釈もある[313]

一方で、マッカーサーは「老兵は死なず……」のフレーズで有名な1951年4月19日の上下両院議員を前にした演説では「戦争以来、日本人は近代史に記録された中で最も立派な改革を成し遂げた」や「賞賛に足る意志と、学習意欲と、抜きんでた理解力をもって、日本人は戦争が残した灰の中から、個人の自由と人格の尊厳に向けた大きな建造物を建設した。政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、今や日本は地球上にある多くの自由国家と肩を並べており、決して再び世界の信頼を裏切る事はないであろう。」と日本を称賛しており、「日本人は12歳」発言は日本人はドイツ人より信頼できることを強調したかっただけでマッカーサーの真意がうまく伝わらなかったという解釈や[314]、マッカーサーと関係が深かった吉田茂のように「元帥の演説の詳細を読んでみると「自由主義や民主主義政治というような点では、日本人はまだ若いけれど」という意味であって「古い独自の文化と優秀な素質とを持っているから、西洋風の文物制度の上でも、日本人の将来の発展は頗る有望である」ということを強調しており、依然として日本人に対する高い評価と期待を変えていないのがその真意である。」と好意的な解釈もある[315]。なぜマッカーサーが「12歳」と言って「13歳」でなかったのかは、英語の感覚で言えば12歳は「ティーンエイジャー」ではまだないということである。まだ精神年齢が熟しきっておらず、新しい事柄を受け入れることが可能だと強調しているのである。

マッカーサー記念館


マッカーサー記念館
ノーフォークノーティカスから東へ約400m行ったところにあるダウンタウンマッカーサー・スクエアには、19世紀の市庁舎をそのまま記念館としたダグラス・マッカーサー記念館が立地している。館内にはマッカーサー夫妻の墓や、博物館、図書館が設けられている[316]。博物館には軍関連品だけでなく、マッカーサーのトレードマークであったコーンパイプなどの私物も多数展示されている。また、伊万里、九谷、薩摩の磁器や有線七宝など、マッカーサーが持ち帰った日本の工芸品も展示されている[317]。建物は「旧ノーフォーク市庁舎」として国家歴史登録財に指定されている[318]。記念館の正面にはマッカーサー銅像が立っている。

日本でもマッカーサー解任前後に「マッカーサー記念館」を建設する計画が発足した。この建設発起人には秩父宮、田中耕太郎最高裁判所長官金森徳次郎国立国会図書館館長、野村吉三郎元駐米大使、本田親男毎日新聞社長、長谷部忠朝日新聞社長ら各界の有力者が名を連ねていた[319]。この施設は「マッカーサー神社」と呼称されていることがあるが[320]、この計画は、マッカーサー在任中から「ニュー・ファミリー・センター」という団体が計画していた「青年の家」という青少年の啓蒙施設の建設計画を発展させたものであり、「元帥の功績を永遠に記念するため、威厳と美しさを備えた喜びと教養の殿堂にしたい。」という趣旨の下で、記念館、公会堂、プール、運動施設、宿泊施設を整備するものであって、特に宗教色のない計画であった[321]。

その後に当初の14名の発起人に加え、藤山愛一郎日本商工会議所会頭、浅沼稲次郎社会党書記長、安井誠一郎東京都知事らも参加して「マッカーサー会館建設期成会」が発足、まずは総事業費4億5,000万円をかけて三宅坂参謀本部跡に鉄筋コンクリートの3階建ビルを建てる計画で募金を募ったが、募金開始が「日本人は12歳」発言でマッカーサー熱が急速に冷却化していた1952年2月であり、60万円の宣伝費をかけて集まった募金はわずか84,000円と惨憺たる有様だった[322]。1年後には募金どころか借金が300万円まで膨らみ、計画は立ち消えになった[323]。他にも東京湾に「マッカーサー灯台」を建設し、降伏調印式の際に戦艦ミズーリが停泊した辺りを永遠に照らす計画や、また「マッカーサー記念館」や「マッカーサー灯台」の計画より前の1949年には浜離宮自由の女神像と同じ高さのマッカーサー銅像を建設しようとする「マッカーサー元帥銅像建設会」が発足していた。随筆家高田保にも委員就任の勧誘がなされるなど[324]広い範囲に声がかけられ(ただし高田は委員就任を見送り)募金も開始されたが、これも他の計画と同じ時期に立ち消えになり、集まった募金の行方がどうなったか不明である。
つづく…………

1日では読めないね。3日は掛かるかな?

色々と日本との関係や朝鮮半島、フィリピンなどとの関係が書かれています。

いま、日本では北朝鮮やフィリピンが注目されています。中国もロシアも…

そしてアメリカの大統領選挙

イギリスのEu離脱でドイツ経済は破綻寸前なの?

イタリアでは首都近くで大地震

日本中で世界中で大災害…

不安を煽られるニュースばかり…

どうか売国政府の思い道理にはなりませんように…

cooooookun 2016-09-15 13:16

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« 小池百合子の秘策って築地の移転だったの… 傀儡政権をぶっ壊すしたい!!! »
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